悟りの段階 -2

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悟りの段階 -2

純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)

 預流向 (ヨルコウ) は、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

 知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が深まると、体験へと続きます。

    預流果 (ヨルカ) とは、ジニャーニの知識を実践しているもの。
    ジニャーニの知識を実践しているものとは、毎日、読経をするもの。
    ジニャーニの知識を実践しているものとは、毎日、真言を唱えるもの。

 心 (マインド) の中は、多様性の世界です。その世界では、その人にふさわしい内容を実践します。

 このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

知識は、記憶になります。

 心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。

 精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。

     ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。
     知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が深まると、体験へと続きます。

 体験を変えるには、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。

     知識を得て、理解が深まると、行動の前提が変わります。
     前提は、信念になります。体験を通して、確信を得るようにします。

 心 (マインド、潜在意識) の働きは、想像をすることです。常に、過去と未来を移動しています。今に留まることは、ありません。

 心 (マインド、潜在意識) の中 (の中の世界) では、想像をして確信があると実現します (知覚している世界で実現します)。そのため、自分の感情や思考を、冷静に観察 (識別) する姿勢が大事です。

 冷静に観察 (識別) するためには、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。

 

完全な悟りへの聖なる流れに入った人

預流果になった人

 預流果になった人は、決して、完全な悟りに向かう道から、退くことはありません。完全な悟りへの聖なる流れに入った、預かったので、預流果と呼ばれます。

 釈迦は、「預流果の人は、天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」と言われています。

参考サイト:
悟りの段階 1 – 預流 (よる) | 道 (way)・アドオンスポット
http://way.add-spot.com/wordpress/satori

グルの恩寵 (おんちょう) を受け取った人

 「虎の口に落ちた獲物が決して逃れることを許されないのとまさしく同様に、グルの恩寵 (おんちょう) を受け取った人は間違いなく救われ、決して見捨てられません
  — ラマナ・マハルシの「私は誰か」より抜粋 —

 

預流果は、三結 (3つの束縛) が絶たれている

預流果は、三結 (有身見・疑・戒禁取) が絶たれている。

    「三結」は「3つの束縛」を意味する。

    三結の内容は、以下の通りです。

    有身見 (うしんけん、巴: sakkāya-ディッティ) – 五蘊を自己とみなす見解
    疑 (ぎ、巴: vicikicchā) – 教義への疑い
    戒禁取 (かいごんしゅ、巴: sīlabbata-parāmāsa) – 誤った戒律・禁制への執着

注記:有身見 (うしんけん)とは?

 有身見は錯覚です。だから、錯覚だと理解するとなくなります。何も変化は、しません。はじめからそれは錯覚でした。今 (預流果になるまで) は、錯覚であると分からないのです。

 預流果は、有身見が錯覚だと分かっただけです。何か変化が起こるわけではないんです。

 個我 (自我) は、「私は身体だ。」と信じています。私と肉体を自己同一化しています。このことに、確信があります。しかし身体は、実在ではありません。

 身体は、誕生して死ぬまで変化し続けます。実在は、常住普遍です。佛性・法性が、普遍であり常住であること。変わらず動かないものです。このことを、理解します。


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