「習気 (じっけ):印象」を手放す。

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「習気 (じっけ):印象」を手放す。

無意識への旅 – 4

 善と悪という二つの心があるのでは無く、心はただ一つであるが、「習気 (じっけ):印象」には、吉凶 (善悪) の二種類がある。心が幸福な「習気 (じっけ):印象」の影響下にあれば、それは善と呼ばれ、不幸な「習気 (じっけ):印象」の影響下にあれば、それは悪とみなされる。

 この方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

探究をし続ける必要がある。

 記憶と印象の関連付けを止めるには、どうすればよいか?

 「私は誰か?」という、探究をし続ける必要がある。

 執着を生み出すのは、対象へ集中しているからです。フォーカス (焦点) が、そこに合っています。その執着を破壊します。

 

「私は誰か?」

 心の中に諸々の対象への「習気 (じっけ) : ヴィシャヤ・ヴァーサナー・印象」がある限り、

    「私は誰か?」

という探究をし続ける必要がある。

 あれこれの考え事がわき起こってきたなら、まさにその瞬間に、その思いの場において、

    「その思いは誰に起こったのか?」

と、問いつめることにより、ひとつひとつの思いを破壊し (手放さ) なければいけない。

 あれこれの考え事がわき起こってきたなら、すぐに、

    「その思いは、誰に起こったのか?」

と、問いつめる。その答えは、
「私」です。すぐに、
「私は誰か?」
という探究をする。

 

人それぞれの理解に従って、神の三つの面がある。

 ラマナ・マハルシの教えを見てみましょう。

YouTube の動画です。

ラマナ・マハルシ シュリー・アルナーチャラへの五連の詩 –
https://youtu.be/6m-nKYQVVJg


gyan480 (https://www.youtube.com/channel/UCUhaDkqlu800DiUZEggin-A)
2011/01/17 に公開 (3分09秒)

SRI ARUNACHALA PANCHA RATNAM(アルナーチャラ・パンチャラートナ)

 人それぞれの理解に従って、神の三つの面がある。それはサット(存在)・チット(意識­)・アーナンダ(至福)である。

 サットという面は、存在への絶えざる探求と至高者の中­でのその個体の消滅の後に、存在の本質の中で安息すると言われるジュニャーニによって­強調される。

 チットという面は、心を安定させるために呼吸の制御に努力し、その後で、すべての方向­を照らす一つの光として神の栄光(存在の意識)を見ると言われるヨーギーにとってのも­のである。

 アーナンダの面は、神の愛のネクターによって興奮させられ、至福の体験の中で自らを消­滅させた帰依者にとってのものである。これから離れる気にならなくて、彼は永遠に神の­中に吸収されたままとどまる。

 四つのマールガ、カルマ、バクティ、ヨーガ、ジュニャーナは相互に排除するものではな­い。しかしそれぞれは、もっぱらその素質に応じて求道者に容易に訴える神の固有の側面­の観念を伝えるために、古典的著作の中で分離して記述される。

 この賛歌は短いけれども­、圧縮されたものであり、学習的にも哲学者にも関心を引くものとして展開可能である。

Oh Arunachala siva!

ラマナ・マハルシの言葉 (単行本)

続きます。
ニュートラル状態とニュートラルポジションにする。
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