ニサルガ ヨガ (Nisarga Yoga)-8

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ニサルガ ヨガ (Nisarga Yoga)-8

純粋な心-5. 正しい行動

 5. Right action (正しい行動)

     恐怖と欲望は、心 (マインド) の間違った使い方をもたらします。心 (マインド)、そして身体の正しい使い方は、平和、調和、友情、愛、そして真実の奉仕にあります。

 このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

心 (マインド)、そして身体の正しい使い方

Nisargadatta emphasizes the importance of harmlessness.

Fear and desire result in the wrong use of the mind. The right use of mind, and therefore the body, is in the service of peace, harmony, friendliness, love, and truth.

Harmlessness is a potent form of yoga, and it starts with treating ourselves with compassion and understanding. We cannot give to others what we don’t first give to ourselves.

     ニサルガダッタ (Nisargadatta) は、無害の重要性を強調しています。

     恐怖と欲望は、心 (マインド) の間違った使い方をもたらします。心 (マインド)、そして身体の正しい使い方は、平和、調和、友情、愛、そして真実の奉仕にあります。

     無害はヨガの強力な形であり、それは思いやりと理解をもって自分自身を扱うことから始まります。私たちが自分に最初に与えていないことを、他人に与えることはできません。

Despite the mind’s habitual resistance, we are the very flow of life and therefore are always in complete alignment with what is.

It’s all a matter of focus and self-remembrance.

     心の習慣的な抵抗にもかかわらず、私たちはまさに人生の流れです。それゆえ、常に存在するものと完全に一致している。

     それはすべて焦点 (focus) と自己記憶 (self-remembrance) の問題です。

注記:心の習慣的な抵抗
 心の習慣的な抵抗を知るには、自分の環境を観察します。
 自分がどこに焦点 (focus) を集中しているか。そして、自己記憶 (self-remembrance) を投影 (リピート、繰り返す) して再生しているかに気づきます。

 実在性を与えているのは、今の中です。今、意識的か無意識的かのどちらかで、「自分が焦点 (focus) を集中して、自己記憶 (self-remembrance) を投影 (リピート、繰り返す) して、実在性を与えている。」ことに、気づきます。

 

存在が欠けているときは、非二元性がありました

In the absence of beingness, there was non-duality

In the absence of beingness, there was non-duality. With beingness, duality began, along with pain and pleasure and the need for endless distraction.

Without the sense of being, there is eternal peace. With consciousness comes the mind, which is invariably noisy.

Nisargadatta asks us to inquire: what was our state before conception? Prior to having a body and mind, we had no consciousness, no being no sense of ‘I am’.

To be more lucid, Nisargadatta Maharaj tells us to meditate, but again, our meditation should not on the body but on the consciousness, our ‘I am’ knowledge.

With this meditation, we will come to know the origin of the consciousness, its maintenance, and also what happens after the consciousness vanishes. All this knowledge we will get without asking for it, just by meditation.

    存在が欠けているときは、非二元性がありました

     存在が欠けている (absence of beingness) ときは、非二元性 (non-duality) がありました。 存在 (beingness) ともに、痛みと喜び、そして際限のない注意散漫の必要性と共に、二元性 (duality) が始まりました。

     存在の感覚 (sense of being) がなければ、永遠の平和があります。 意識 (consciousness) があると心が来る。それは常に騒々しいです。

     ニサルガダッタ (Nisargadatta) は、私達に尋ねるように頼みます:受胎前の私達の状態は何でしたか? 肉体と心を持つ以前は、意識はなく、「私は在る (I am)」という感覚もありませんでした。

     より明確にするために、ニサルガダッタ・マハラジ (Nisargadatta Maharaj) は、私たちに瞑想をするように言います。しかしまた、私たちの瞑想は身体にではなく意識 (consciousness) にあるべきです。私たちの「私は在る (I am)」は、知識です。

     この瞑想によって、私たちは意識の起源、その維持、そして意識が消えた後に何が起こるのかを知るようになるでしょう。すべてのこの知識は、私たちは瞑想によって、求めずに (それを求めることなく) 得られます。


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